「大きくしてくれたのは内田篤人だった」――僕とアツトと。
岩政大樹が書き下ろすパートナーの存在
内田篤人に抱いた嬉しさ、嫉妬、寂しさ
それから、篤人は2007年シーズンからの3連覇に貢献し、2008年には日本代表にも定着していきました。僕はそれを嬉しい気持ちと嫉妬の気持ち、両方で見ていました。まさか、こんなに一気に抜かれていくとは想像していませんでしたから。
彼の良さは素直さと頭の良さです。持っている能力もありますが、それ以上に、自分の活かし方とそのタイミングをよく知っている選手でした。元々、鹿島も即戦力というより将来性を見込んで獲得した選手です。周りも想像できない、ものすごいスピード感で駆け上がっていく篤人の後ろ姿はどんどん僕から離れていきました。
いつからでしょうか。僕は篤人と阿吽の呼吸でプレーできるようになりました。それには2年も要しなかったと思います。僕はその時間を充分に楽しみながら、それがそう長く続かないことを理解していきました。
シャルケへの移籍を相談されたのは、2009年の暮れだったと思います。半年後のワールドカップの後に移籍することになりますが、この世界では別れは致し方ないものとはいえ、僕は強烈な寂しさを覚えたものです。別に、人間・内田篤人とはいつでも会えるし、関係が終わるわけではありません。しかし、選手・内田篤人ともう横でプレーできないことに「寂しい」としか表現できない感情がありました。
その後、僕は鹿島で2013年までプレーを続け、篤人はシャルケでもレジェンドになりました。日本代表でたまに顔を合わすことはできましたが、僕はそれほど試合に出ることができなかったので一緒にプレーすることは数えるほどでした。
僕は自分自身がいちサッカー選手としては過大評価されていると思います。中には「それほどの選手なのか」と疑問に思う方もいるでしょう。僕もその1人ですから。
ただ、その答えを僕は知っているのです。――僕を大きく見せているのは内田篤人である、と。